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 西海国立公園内では、長崎県とキリスト教の深い結びつきを代表する教会・史跡をいたる所で目にすることができます。各地に建てられた教会を巡る旅は、想像を絶する過酷な責めにも屈せずに、禁教令解除まで守り続けた信仰心の解放を告げる、西欧教会様式の建物との出会いです。異国情緒以上に、そこで生活する人々が拠り所とする“こころの安息地”に触れてみてください。

■三浦町教会(佐世保市三浦町) ■黒島教会(佐世保市・黒島)
 明治30年(1897)に小教区として設立され、谷郷町に天主堂として発祥、現教会は昭和5年(1930)に建築されました。西海国立公園の玄関口、佐世保駅前の小高い丘に聳えるゴシック建築の美しさは、佐世保を代表する名所となっています。国道に面した教会ですが、聖堂内はとても静かなたたずまいです。  九十九島一の大きさを持つ黒島には、明治12年(1879)に最初の教会が建設され、現在の聖堂は明治35年(1902)、マルマン師によって建立されました。島の人々の多くは弾圧を逃れて移り住んだカクレキリシタンの子孫たちで、島民の約7割がカトリック教徒です。1998年には国の重要文化財に指定されました。
■褥崎(しとねざき)教会(佐世保市) ■神崎教会(佐世保市小佐々町)
 当初は浜辺に民家風の聖堂を持ち、ミサに与かっていましたが、昭和42年(1967)、高台に現聖堂が建立されました。信徒たちは島原の乱に敗れて五島へ逃れ、キリシタン弾圧の追及をさらに逃れてこの地に住み着いた者の子孫で、故郷五島と祖先の信仰を偲び始めたアヤタケ踊りが伝わっていて、祝日などに披露されます。  現聖堂は昭和5年(1930)4月29日に落成・祝別され、同年6月25日早坂司教によって下神崎小教区が設立されました。日本最古の鉄筋コンクリート造りによるゴシック様式の教会です。迫害に耐えて守り通した信徒たちの信仰は、教会の尖塔とともに九十九島の蒼い海に照り映えて美しい様相を呈しています。 昭和63年(1988)には、教会裏山にルルドが建設されました

■田平教会(平戸市田平町) ■平戸教会(平戸市鏡川町)
 大正7年(1918)、中田藤吉師の指導の元、 鉄川与助を棟梁として建設されました。県内でも有数の調和のとれたレンガ造りの天主堂は、平戸瀬戸を見下ろす丘陵の上に聳え立つ教会の姿を絵筆や写真に収めようと、画家や写真家がよく訪れます。殉教者の血を引く信徒たちの信仰は篤く、多くの聖職者を出しています。  平戸教会は平戸、松浦、北松浦地区の主管教会であり、昭和6年(1931)に設立されました。聖フランシスコ・ザビエル師の三度にわたる平戸訪問を記念し、昭和46年(1971)聖師の記念像が建立された事により、聖フラ ンシスコ・ザビエル記念聖堂とも言われています。毎日多数の巡礼者、観光客が日本各地から訪れています。
■宝亀教会(平戸市宝亀町) ■紐差教会(平戸市紐差町)
 宝亀教会は仮教会堂が明治18年(1885)に設立され、現教会は明治31年(1898)に建立・献堂されました。木造からレンガ造りへ の過渡的な姿は会堂正面部のナルテックス、 聖堂の両側面にアーケード、ベランダがあり、他に例をみない変化のある構造を持っています。青年会の活動は活発で、教会諸行事の実施に貢献しています。  小高い丘に聳える白亜の紐差教会は、初代の聖堂が明治18年(1885)に竣工し、現教会は昭和4年(1929)に改築されました。ステンドグラスを通して広がる光の聖堂は、たとえようのない美しさを現出します。
■山田教会(平戸市生月町)
 生月島は全体がカクレキリシタンの島と言われ、 島内には平戸藩家老であったガスパル西玄可の殉教地『黒瀬の辻』をはじめ数多くの殉教地・教会跡が散在します。この地の信者はカクレキリシタンから復帰した人たちの子孫で、明治45年(1912)に現在の聖堂が建立されました。

■堂崎天主堂(五島市・福江島) ■楠原教会(五島市・福江島)
 堂崎天主堂は五島キリシタン復活の拠点として、小ヴァチカン的な役割を担ってきまし た。現在の赤レンガ、ゴシック様式の天主堂は五島最古の洋風建築物でもあり、明治41年(1908)に完成し、日本二十六聖人に捧げられました。昭和49年(1974)長崎県の文化財に指定され、昭和55年(1980)にはキリシタン資料館が開設しています。  明治44年(1911)創設、大正元年(1912)に信徒の労力奉仕によって、赤レンガの天主堂が完成し、下五島では三番目の木造レンガゴシックの教会が誕生しました。信徒の大半が農業に従事し、夕べの鐘に合わせて祈る姿はミレーの名画を彷彿とさせます。近くには明治元年(1868)の弾圧で投獄された楠原 牢屋敷跡があり、苦難の時代を伝えています。
■水之浦教会(五島市・福江島) ■井持浦教会(五島市・福江島)
 水之浦天主堂は明治13年(1880)パリ外国宣教会のザルモン師によって創建され、現在の聖堂は昭和13年(1938)に献堂されました。水之浦湾を見下ろす高台からの景色は素晴らしく、教会自体も白亜の建物が青空にマッチして絵のような美しさを展開しています。  明治28年(1895)フランス人宣教師ペルー師の指導で建立された聖堂です。教会境内にあるルルドは五島全域の信徒が島内の奇岩・珍石を持ち寄り、明治32年(1899)に建設されたものです。聖母像は本場ルルドより求めて洞窟に収められ、本場奇跡の泉からの霊水を洞窟横の泉水に注がれました。日本最初のルルドで全国からの巡礼者が訪れています。
■江上教会(五島市・奈留島) ■旧五輪教会(五島市・久賀島)
 奈留島で二番目の教会として、大正7年(1918)3月8日建立され、島田喜蔵師によって祝別されました。 ロマネスク様式のクリーム色の木造建築教会で、日本的な装飾を排除し、外部も内部も簡素ですっきりした構成は、日本に定着した木造の様式的教会建築の定型的な姿をしています。  本教会は明治14年(1881)に建てられた浜脇教会を解体し、昭和6年(1931)に五輪地区に 移築されたものです。国の重要文化財指定で、木造瓦葺の民家風ですが、聖堂内はアーチ式の天井で 明治初期の教会建築として数少ない貴重な遺構です。昭和60年(1985)長崎教区から福江市(現在の五島市)に寄贈されました。 現在の五輪教会は隣接して建っています。
■浜脇教会(五島市・久賀島) ■三井楽(岳)教会(五島市・福江島)
 明治14年(1881)に建立された最初の天主堂は潮風に晒されて痛みが激しく、昭和28年(1953)五島では最初の鉄筋コンクリートの教会として建立されました。解体された旧聖堂は五輪地区に移され、巡回教会(旧五輪教会)として使用されていました。大半が漁業に従事している信徒たちは、日曜日のミサに備え土曜日は網を入れることを休む、熱心な信仰生活をしています。   大村藩からの迫害を避けて逃れてきたカクレキリシタンの流れを汲む信徒が明治13年(1880)、ゴシック様式の木造聖堂を完成させたのが、当教会の始まりです。現聖堂 は昭和46年(1971)建立され、島内各地から採集した貝殻のモザイク聖画が教会の正面、内部、司祭館や信徒会館の壁面を飾り、当教会の大きな特色になっています。

■頭ヶ島教会(新上五島町・頭ヶ島) ■青砂ヶ浦教会(新上五島町・中通島)
 頭ヶ島教会は、明治3年(1870)ドミンゴ松次郎が住居を青年伝道師養成所として仮聖堂を置いたのが始まりです。明治20年(1887)には最初の教会が、そして明治43年(1910)に松次郎の屋敷跡に島で算出する石材による総石造りの聖堂が7年余の歳月をかけ、大正6年(1917)年ロマネスク様式の天主堂が完成しました。西日本唯一の石造りの教会です。
平成13年11月、国の重要文化財に指定。
 青砂ヶ浦海岸の丘の上に立つ教会は、赤レンガを積み上げた外壁を持つ木造、瓦葺きの聖堂です。当地の信者は外海地方から迫害を逃れ定住したキリシタンの子孫で、明治12年(1879)頃には小さな集会所を作っていました。現在の聖堂は三代目で、明治43年(1910)に落成・献堂されました。
平成13年11月、国の重要文化財に指定。
■鯛ノ浦教会(新上五島町・中通島) ■江袋教会(新上五島町・中通島)
 明治13年(1880)に養育院、翌14年(1881)に天主堂が建立され、その後明治36年(1903)に建て替えられ、さらに潮風による破損を経て昭和54年(1979)現在のスマートな聖堂に建て替えられました。不況下での信徒世帯当たり80万円という拠出には、この地の信仰の篤さの一端を伺うことができます。  明治16年(1883)、信仰復活後、五島最初の神父となる島田喜蔵神父の叙階を前に神父の出身地に最初の天主堂が建立されました。現在使用されている木造教会としては最古のものと思われ、矩形の平面にマンサード形をした屋根、天井のリヴヴォルとステンドグラスや祭壇が美しい調和を示す内部など、構造的にも貴重なものです。
■福見教会(新上五島町・中通島) ■中ノ浦教会(新上五島町・中通島)
 福見教会は大正13年(1924)聖堂が建立され、献堂されました。屋根を除くすべてが赤レンガ造りの教会です。平地の里にはシスター達の奉仕によって、朝昼夕欠かすことのないお告げの鐘が鳴り響きます。  中ノ浦教会は、大正14年(1925)建立、大崎八重師より祝別されました。昭和41年(1966)入口部を増築するとともに、塔を建て現在に至って います。地域の全体が信徒であり、月夜間(満月中心とした5日間程)になると、遠洋から若者たちが帰港し、教会も賑わいます。波静かな中ノ浦湾にその姿を映しだしています。
■冷水教会(新上五島町・中通島) ■大曽教会(新上五島町・中通島)
 冷水教会ができる前、この地方の信者の人たちは、対岸に位置する青砂ヶ浦教会に、伝馬船を操ってミサに通っていましたが、 明治40年(1907)に現在の聖堂が完成、祝別されました。奈摩湾の水面を見下ろす木造瓦葺の教会は鉄川与助の設計・施工による最初の天主堂です。
 大村藩からの迫害を避けて逃れてさたカクレキリシタンの流れを汲む信徒が明治13年(1880)、ゴシック様式の木造聖堂を完成させたのが、当教会の始まりです。現聖堂は昭和46年(1971)建立され、島内各地から採集した貝殻のモザイク聖画が教会の正面、内部、司祭館や信徒会館の壁面を飾り、当教会の大きな特色になっています。
■旧野首天主堂(小値賀町・野崎島) ■貝津教会(五島市・福江島)
 明治41年(1908)に献堂された、鉄川与助の手による 最初のレンガ造り建築です。ゴシック窓を飾る色ガラ ス入り花模様の組子が美しい建物ですが、現在は廃堂となり、昔日の面影を察するのみです。平成元年(1989)県指定文化財に選ばれています。  明治の中頃までは民家を仮聖堂としていましたが、 大正12年(1923)に、当時の信徒が岳教会の主任司祭山頭師の指導を得て10坪程度の教会堂を創設し、翌13年に木造瓦葺、板敷きの現天主堂を建立しました。老朽化のため、昭和37年(1962)増改築し現在に至っています。明治6年(1873)まで続いたキリシタン禁教令は厳しい迫害の歴史 を残していますが、明治元年にこの地方で起こった迫害で、6家族36名が入牢されましたが、死者も棄教者もなく解放されたという記録があります。


 鉄川与助氏は明治12年(1879)上五島の丸尾郷(新上五島町)で大工の棟梁の長男として生まれ、昭和51年(1976)に没しています。20歳の頃から教会建造に従事し、その後、教会建築の第一人者といわれるまでになりました。西日本各地に残る鉄川与助の手がけた教会群は、日本近代建築史において高い評価を受け、それらは今でも日本の歴史と風土の中に息づき、教会のある風景をそれぞれの土地に定着させています。


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