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学術調査委員会秘話
山階 芳正
(防衛大学校名誉教授)
(1)学術調査委員会の編成

 「長崎県西海国立公園候補地学術資料調査委員会」何とまあ長い名前の委員会だろう。今どきの若い者なら「西海を国立公園にしよう会」とでも名づけそうであるが・・・。
 この長い名前の委員会は、昭和26年に設立がきまった。
 この年、私は九学会連合の対馬共同調査委員会の幹事に任命されており、対馬で調査が完全に終了するのを見届けて、長崎の県庁にお礼に伺った。その時はじめて会ったのが大野観光課長であった。大野課長は実は西海を国立公園にすることは、西岡知事の公約の一つであり、県としてはこれはぜひ実現したい。ついては厚生省の国立公園部に、候補地の行政資料報告書と、学術調査報告書の2種類の報告書を提出しなければならない。前者はすでに観光課で作成して提出したが、学術調査報告書の方は、まだ全然手をつけていない。当時全国に国立公園は17カ所あり、国立公園審議会としては、あと3カ所追加して、20カ所にする計画だという。この3カ所をめぐって、全国で20カ所の地域が国立公園に立候補していて、きわめて激烈な競争である。西海以外の候補地の学術調査報告書は、ほとんどすでに出揃っているので、それだけ西海は遅れをとっていて、指定に不利である。何とか学術調査報告書をものにしたいので、私にその責任者になってくれまいか、という話であった。
 そこで私は、まずすでに刊行されている数種類の報告書を見せてもらうこととした。これらを読んでみると、そういっては何だが、びっくりするような内容の報告書は一つもなく、印刷も悪かった。私はこれら以上にすぐれた報告書を作ればよいのだ。そうすれば出遅れたことがかえって幸いするわけだと考えて、次の内容の条件で責任者になることを引き受けましょうと答えた。その条件とは次の通りである。
 条件の第一は、すでに出揃っている報告書よりすぐれた論文集を作るから、県に協力してほしいということ。第二は委員の人選は、一切私にまかせ、地元の大学等に県が勝手に頼んだりしないこと。調査委員の旅費は十分に支出すること。第三に委員は、国立公園審議会の主要委員が大部分東京大学の教官(とくに地形と植物)であることから、大部分その直弟子である東大の教職員をもってあてる。そうすれば調査後も、毎日研究室で顔を合わせるわけであるから、西海についての詳細な説明がいつでもでき、意思の疎通がはかれるからだ。第四の条件は、印刷は東京で行うこと。これらの条件を大野課長は全部承諾してくれた。
 帰京後すぐに委員の人選にとりかかり、次の10名がきまった。(敬称略)
 (1)東京大学理学部講師 佐藤 久〔地形学及び地質学〕
   (辻村先生の直弟子、火山地形に詳しい。現東京大学名誉教授)
 (2)東京大学理学部助手 岩塚守公〔地形学及び地質学〕
   (辻村先生の直弟子、のち東京大学理学部助教授、故人)
 (3)東京大学理学部地理学教室 島 宏〔地形学及び地質学〕(故人)
 (4)東京大学助教授 前川文男〔植物分類学〕
   (本田正次審議会委員の直弟子、のち東京大学名誉教授、故人)
 (5)東京大学理学部助手 竹内正幸〔植物分類学〕
    (本田正次委員の直弟子)
 (6)日本常民文化研究所員 宮本常一〔歴史学〕
    (のち武蔵野美術大学教授、故人)
 (7)東京大学理学部地理学教室 小野博司〔歴史学〕
    (現麗沢大学名誉教授)
 (8)日本民族学研究所員 井之口章次〔民俗学〕
    (もと国学院大学教授)
 (9)東京大学大学院特別研究生 山階芳正〔地理学〕
    (辻村先生の直弟子、現防衛大学校名誉教授)
 (10)高島春雄〔動物分類学〕(山階鳥類研究所専務理事、故人)
 いずれにせよ、東京大学理学部を中核とする調査団なので、俗に「東大調査団」と呼ばれた。
 調査団の帰京後しばらくして、西岡知事が上京され、築地の料亭で座談会を開かれた。この席には辻村・本田両先生をはじめ、有力な国立公園審議会委員が出席され、私共調査委員にもお呼びがかかった。県の腹は審議会委員と調査委員との座談会を開こうというわけであった。ところが、双方とも毎日大学で顔を合わせている連中だから、何の遠慮もいらないというわけで、喧喧囂囂(けんけんごうごう)の議論が戦わされ、ついには調査団側より、当時の国立公園行政への批判まで出る始末であった。しかし互いに師弟関係にある気心の知れたものばかりであるから、喧嘩にもならず、全体としてよい会議であった。側に陪席していてどうなることかと一番ヒヤヒヤしたのは、大野課長であったようだ。
 こうして調査の報告書は、186頁(別に巻頭にグラビア版の写真数十葉)をのせた、厚生省もびっくりするような名報告書となって関係方面に配布された。時に昭和28年8月、印刷所はトッパン系列の尚文堂であった。

(2)辻村先生の引っ張りだし

 この仕事を引き受けて以来、毎日のように考えていたのは、私らの恩師であり、日本の地形学の泰斗として、国立公園審議会の有力委員である辻村太郎教授を、現地にきていただくことであった。
 西海候補地が他の候補地に対してすぐれているのは、俗に「地形博物館」と呼ばれるように、種々の地形が存在していることにある。したがって、審議会委員の中でただ一人の地形学者である辻村先生に、西海の実態をその目で直接見ていただかなければ、いくら弟子どもが騒いでも、話にならないと考えた。
 ではどのようにして引っ張りだすか。当時は未だ東京→大阪→福岡間に定期航空便ができたばかりで、長崎空港など存在しない。だから福岡で飛行機から列車に乗りかえるか、東京から長崎まで寝台急行で直行するかのほかはない。
 私は躊躇なく前者を選んだ。それは先生はまだ飛行機に乗られたことがないはずで、いつも地形模型を眺めるのを楽しみにしている。本物の地形を空から見れば、どんなに喜ばれることだろうと思ったからだ。先生にあたってみたところ、案の定賛成で、自分は五島に行くとおみこしが上がった。ところが困ったことに夫人が飛行機に乗るのは絶対に反対だというわけだ。そこで夫人には列車で行くと称し、実際には飛行機を使うこととし、その旨県の了承を得た。飛行機はお宅には絶対秘密である。
 私は本来はお伴すべきであったが、所用があってどうしても行けない。そこで東京大学地理学教室の前島郁雄氏〔気候学〕(現東京都立大学名誉教授)に、はじめから終わりまで随行役を引き受けていただいた。
 いよいよ出発の日、天気晴朗、私は羽田空港までお見送りした。やがて離陸。生憎と窓際の席がとれず、窓際から二番目が先生の座席となった。前島氏によると、それもものかは、先生は中腰になって、窓から下界を眺めっ放し。窓際の席の人はさぞ迷惑だったろうが、先生は「これがアッシの商売ですから。」と下を見たまま。隣席の人は一体何の商売の人かと思っただろうか。これから先の旅行中の奇談は、前島氏が書いて下さることになっている。
 とにもかくにも、こうして先生の引っ張りだしに成功したことは、西海の指定に大きなプラスになった。
 とくに西海の目玉である嵯峨ノ島の「火山海食崖」と小値賀斑(おぢかまだら)島の「玉石甌穴(おうけつ)」をその目で見ていただいたことだ。とくに後者は、雨が降り出し、体も疲れて、先生はもう結構だと思ったが、案内役である鴛渕(おしぶち)先生(笛吹在住の開業医)がぜひにというので、しぶしぶついていったところ、実物を見てその大きさに思わず息をのんだという。
 この二つとも昭和25年に私が発見したものであるが、先生が文部省の天然記念物の委員でもあられたので、間もなくそれぞれ県・国の天然記念物となり、西海の公園指定に花をそえた。
 やがて先生は元気に帰京され、地理学教室の全教官・学生が集まるゼミナールで、半日かけて西海旅行談を語られ、すこぶる上機嫌であった。富江の低平な溶岸台地地形を正式に「溶岩原(げん)」と名づけられたのも、この席上だった。ただし飛行機に乗られたことが夫人にばれて、かなり叱られたと苦笑いされた。
 ともかくも辻村先生の現地視察がなかったならば、西海の国立公園指定もかなりむずかしくなったことは否定できない。



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