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西海国立公園候補地公園計画調査の思い出
前野 淳一郎
○はじめに

 畏友の武井宏さんから、標記のような記事を書くようにとのお話があったのは、確か昨年(平成10年)の秋口頃だった。さて、そうは云われても茫々半世紀も以前のこととて、ご趣旨の『後世に伝える資料の一端』となるようなものはとても書けそうもないが、思い浮かぶ記憶の断片を繋ぎながら綴って見ようかと思う。何しろ小生にとっては20歳代後半青春時代の、些か甘く、そして些か苦い懐かしい西海の海、そして佐世保のことでもあり、またその後にも数多くの仕事・業務をさせて頂いたご縁、ご恩もあるということで、やや私的な面に偏ってしまうかもしれないが、予めご了承を賜りたいと思う。

○佐世保市観光施設計画
 当時佐世保市長であられた中田正輔氏の遠謀深慮は、昭和27年に・国立公園協会(田村剛先生が副会長)へ標記の計画調査を委託されることから始まった。第二次世界大戦の敗戦後、大日本帝国海軍基地という地位の喪失と空襲による壊滅的な打撃からの復興を、軍事機密から解放された天与の海景を観光事業に活かすことによって果たそうとされた中田市長の先見の明には、今更ながらあらためて深甚の敬意を表さずにはおられない。
 田村博士の指導の下に、東京大学の加藤誠平助教授、宮内庁庭園課の舘粲児技師、それに造園家の吉村巌氏からなる調査団が派遣され、鹿子前地区の遊覧港・水族館・宿泊基地、烏帽子岳地区のゴルフ場・キャンプ場、弓張岳の展望台、石岳の動植物園などの観光諸施設が計画され、夫々計画図/設計図として提案された。これらのうちゴルフ場を除いては全て現在何らかの形で実現をみている。当時の大学の造園学教室の助手になって1年そこそこの若造だった私は、調査団の末席に加えられる光栄に浴し、観光開発計画の「手習い/学習」を受けるチャンスを戴いたのである。正に「佐世保の学・業恩」尠なからずと申し上げるべきだろう。このときから、定宿は市長のご息女が経営されていた市役所近くの「まつら荘」で、東京から佐世保までは20時間余を掛けての蒸気機関車に曳かれる寝台夜行列車の旅であったことを思い出す。

○西海国立公園候補地/自然公園計画調査
 引き続いて翌昭和28年に、協会は標記の調査委託を受けた。委託主体が長崎県であったのか佐世保市であったのか、また当該地域における自然景観に関わる総体的な学術調査は別途の委託事業であったのかどうかは私には詳らかではない。何れにしても、田村博士とならんで各学界の錚々たるメンバーによる調査団が編成・派遣された。この学術調査については、別途山階先生や前島先生が寄稿をされると伺っているので、ここでは保護と利用にかかる所謂自然公園計画調査について、薄れた記憶を辿りながら触れてみたい。
 この自然公園計画調査は終始専ら田村博士ご自身が担当をされ、私は鞄持ちとして先生のお供をしながら5万分の1の地形図に先生の言われた通りに特別地域や普通地域そして特別保護地区等の色を塗ったり、集団施設地区や単独施設の記号を記入するという、これまた「手習い・学習」の旅であった。
  なにしろ本土側の南北九十九島から平戸島そして五島列島一円という広大な地域の調査だけに、かなりの日数がかかった筈であるし、前後数回に分けて行われた現地調査であった筈である。これも記憶には定かではない。

 当時先生は既に63才という高齢でいらしたにも拘わらず、また昭和3年に台湾調査の帰途、不慮の事故で片足を失われたという不自由なお体でおられたのに、全行程を実に元気に過ごされ、若輩の私の方がアゴを出しそうになったような次第だった。
 確か五島列島方面では、海上保安庁の巡視船に乗って、海上からの遠望による調査をしたような記憶もある。玉之浦町の荒川温泉では先生の背中をお流ししたようなこともあった。先生は岡山県のご出身で、戦時中児島市(現倉敷市)の田ノ浦という海岸に疎開をしておられた。私の父の郷里も児島で私もよく訪れたことがあり、お互い食事中の話題にもなった。先生の奥様は大変福よかなお美しい方だったが、戦後間もなく「お手製の孫」のお嬢様を出産されていた。ある時、私がその話をしたところ「いや、あの頃は燈火管制で毎晩真っ暗だったし、他にすることがなかったからね」と笑いながら仰ったことを思い出す。


○後日潭など
 そろそろ与えられた紙数を越えそうでもあるので、私自身のその後の西海ないしは長崎県との関わりについて一寸触れさせて頂きたいと思う。
 その前に、辻村太郎先生に関わるエピソードについて一つ二つ記しておきたい。昭和30年前後の頃、岩手県は陸中海岸国立公園候補地の調査が、これも国立公園協会が委託を受けて行われた。私も調査団の驥尾に付いて、素晴らしい海景を船上から眺める機会を与えられた。その際に辻村太郎先生が、横長に張り合わせて奉書のように巻いた5万分の1の地形図を目線の位置にひろげて現実の陸の景色と比べながら、「ああ、あそこは海成段丘だな」などと呟いておられた。景観地理学の泰斗の、まさに名人芸を目の当たりに見る想いであった。
 また、こんなエピソードもあった。当時宮古市の市長だった中屋重治氏の夫人が、偶々小生の妻の伯母であったようなことから、調査団の市長招宴に私も新婚の妻共々侍ったときのことである。辻村先生が伯母が嵌めていたエメラルドの指輪に目をつけられて「奥さん、その指輪はベルリンのこういう店で需められたでしょう。そのようなエメラはあの店以外では売っていない筈です。」と仰った。地理「学者」というのは大変な学識を持っておられるものだ、と感銘を深めたものである。
 その後、機会があって先生の弟子であられる西川治先生の知遇を戴き、その人文地理/国土開発史に係わる深い学識に、大いに触発を受けて爾後の思想形成の上での恩恵を受け今日に至っている次第である。
 さて言わでもの後日潭であるが、私はその後(財)日本離島センターが行った多くの離島振興調査に参加をしたのだが、昭和50年に行われた五島列島の調査は特に印象深いものだった。また大学後輩の故桜沢満寿君が長崎県在職中の昭和54年には、私が当時主宰をしていた(株)スペース・コンサルタンツが鹿町町の集団施設地区計画の調査委託を受け、昭和55年には佐世保市を中心としたモデル定住圏の委託調査で県におられた伊藤昭六氏の知遇を受けたり、昭和58年には島原半島地域の、昭和60年には県北地域の、夫々「観光レクリエーション開発計画調査」の委託を受けたりした。この間、西海国立公園指定に際し影武者として多大の貢献をなされた佐世保の蓮田知則さんは、公私ともに大変お世話を賜った。
 このほかにも色々とあるのだが、昭和62年に市から委託を受けて行った鹿子前地区の観光開発推進調査には忘れ難い印象がある。この調査では、検討委員会や厚生省・環境庁の現職・OBによる在京者懇談会などを編成して事に当たった。佐藤達夫さんや蓮田さんそれに斉藤一雄さんなどの地元(OB)勢、それに武井さんや田村久仁夫、加治隆、瀬田信哉、菊地邦雄、小野寺治、鹿野久夫、宮田春夫の各氏といった現職・OB勢の皆さんが、夫々西海や佐世保そして鹿子前に寄せる「熱い思い」が伝わってきて、大変楽しい会合を持つことができた。

○おわりに
 先日、(平成10年)10月の中旬に家内共々、長崎からハウステンボス~平戸~伊万里~唐津~吉野ケ里をめぐるパックツアーに参加をしてきた。ハウステンボスから平戸に至るコバルトラインの船上からは、近くは南北九十九島の島々、遠くは烏帽子岳、佐世保市街地、冷水岳、平戸島の山々そして遙かに五島列島を遠望することができた。うたた感慨無量の旅であった。


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